私のプロレスファンとしての立場は?

プロレス観を語るの巻

 

 プロレスファン同士熱い語らいをしていると、必ずと言っていいほど「プロレスの一体どこが面白いの?」とか「あれって最初からどっちが勝つか決まってるんでしょ?」といったような質問をされる。興味の無い人にとっては、どうも理解に苦しむようである。おそらく多くのプロレスファンは他人から蔑んだ眼差しを受けたことが何度もあったことだろう。

 プロレスを「ショー」や「八百長」の一言で片付けてしまう輩は非常に多い。私が中学生や高校生の頃なんかはこの言葉にムキになって反論したものだが、今はもう「プロレス」というものに対する価値観が確固としているので、さほど気にはならない。が、しかしあんな特殊な、他に類を見ない世界に対して食わず嫌いでいるのは非常に勿体ない話である。今回はこのコーナーの今後ををふまえて、私のプロレス観というものをある程度明確にしておきたいと思う。

 プロレスは格闘技なのか?・・・今でこそ『PRIDE』や『UFC』などのイベントにより総合格闘技が世間的に認知されるようになって、プロレスと格闘技とはハッキリ色分けされた感がある。しかし、かつてはアントニオ猪木が唱えたように『プロレスとは最強の格闘技である!!』といういかにも「真剣勝負」であるかのような空気を醸し出していた。この場合の「真剣勝負」とは、他の格闘技と同列の勝負論における真剣勝負である。

 それでも、世間からは「八百長」や「野蛮なショー」といった目で見られることが多く、他のスポーツより低く見られる傾向があり、当然スポーツニュースで報じられることも無かった。そんな状況においてコンプレックスを持つレスラーが出てくるのも当然なことだった。『U.W.F.』の誕生である。

 前田日明を中心とした『U.W.F.』はルール面において革命を起こした。ロープにふらない。トップロープから攻撃しない。場外乱闘やリングアウトもありえない。反則に対しては厳密な裁定を下す。とにかく、5秒以内の反則は許されるといういかにもルーズなプロレスのショー的要素を徹底的に廃した。そして、何よりも3カウントのフォール制ではなく、ギブアップかK.O.のみでの完全決着という、よりスポーツライクにルールを明確化した。この新しいプロレスによって『U.W.F.』は大ブームを起こしたのである。

 そしてそれは自分たちのプロレスは既成のプロレス(新日本プロレスや全日本プロレス)とは違い、「真剣勝負」だという触れ込みで一躍ブームとなった。当時、「ホンモノを見たけりゃU.W.F.へ行こう」なんて文句が飛び交ったものだ。しかし、実際は格闘技色の濃いプロレスをやっていたにすぎなかったのだが・・・。

 それでも、『U.W.F.』が現在のプロレスに大きく貢献したことはたくさんある。関節技や絞め技といった地味な技の切れ味の説得力をアピールできた。また、キックを使用することによりプロレスにおけるK.O.率を上げた。そういったことでますますプロレスの幅が広くなり、面白さが増したのではと個人的には思う。

 この成功の裏にはレスラー同様、プロレス八百長論でコンプレックスを持っていたファンがかなり飛びついていたように思うし、それまでのプロレスファン以外の人達も取りこめたことが大きいだろう。

 U.W.F.幻想が崩れかけようとしていた頃、U.W.F.がプロレスの格闘技的要素を抽出したその対極に位置する団体が誕生する。大仁田厚を中心とした『F.M.W.』だ。プロレスのエンターテインメントな部分における過激さを抽出したといえるデスマッチ路線のプロレスである。5万円から始まったというこの団体が徐々に人気を集め始め、このジャンルを確固たるものにした。発想としてはプロレス技の痛みより、有刺鉄線で切り裂かれる痛みの方が一般人にも伝わりやすいだろうというものだ。だから、大仁田は自ら邪道と名乗り、新日本・全日本のメジャー団体のプロレスと差別化をはかり、生き残りをかけたのだった。そのスタイルに賛否両論の声を浴びつつも、『F.M.W.』は確実に支持されていった。そして『インディーズ』と呼ばれる団体の先駆け、あるいは象徴となったのである。

 この辺りからプロレスというジャンルがイデオロギーによってどんどん細分化されていき、多団体時代に突入する。それをここでいちいち追っていたらキリがないので詳細は省略する。ただこの現象はよりプロレスの懐の深さを知ると同時に、格闘技との境界線がわかりやすくなってきたように感じた。そしてそれはグレイシー一族に代表されるバーリトゥードの大会が行われることにより明確になってくる。

 従来の異種格闘技戦の延長から『リングス』なんかでは早くからスポーツライクな総合格闘技のルール整備が行われていた。それはU.W.F.のルールをより洗練したものだったと言える。バーリトゥードはそれよりも極力何でも有りのルールだった。顔面を殴る蹴るといったことが許されるため、かなり危険なファイトが繰り広げられることになり、初期のUFCの大会ではかなり凄惨な場面を見せていた。

 こんなバーリトゥードの世界に、今までプロレスが最強だと豪語していたレスラー達が踏み込んで行くのである。そして次々に散って行った。プロレス最強論を決定的に粉々に打ち砕いたのはやはり「高田延彦VSヒクソン・グレイシー」の試合に尽きるだろう。プロレス界では超一流の高田がヒクソンに手も足も出ず、完敗したのである。それも二度続けて・・・。プロレスファンは相当悔しい思いをしたはずだ。これは桜庭和志がホイス・グレイシーに勝利するまでプロレスファンの溜飲は下がらなかったかもしれない。今はプロレスはプロレス、バーリトゥードはバーリトゥードとして、プロレスで強くてもバーリトゥードで勝てるかわからないし、バーリトゥードで強くてもプロレスで成功できるかはわからないということは、様々な試合を通してわかっていることではある。

 結果的には、この黒船襲来ともいえるバーリトゥードの普及のおかげで、プロレスが他に類を見ないジャンルとして価値を保有していることに本当に気付かされるのだ。「やっぱりプロレスって面白いじゃないか!」っていう。正道会館の角田信朗が「プロレスは格闘技だが、格闘競技ではない。」と言っていた。そう、ただ単に勝った負けたの世界ではないのだ。プロレスにおける試合っていうのは、ある種『作品』である。観客を楽しませてなんぼのもんである。結果が全てではない世界。

 現在のプロレスの技というのは、どう見ても自分の力だけではどうにもならないものが多い。相手が受けてくれないと成立しないものがほとんどかもしれない。プロレスラーが試合中に呼吸をしているのを見ると、いかにも攻撃してきて下さいと言わんばかりにわかりやすく呼吸している。普通格闘技では相手に自分の呼吸のタイミングを知られるというのは致命的なことだ。人は息を吐く時に攻撃するので、息を吸う時に隙ができるのだ。そこからもプロレスでは技を受けてなんぼのものだということがわかる。

 三沢光晴が「プロレスラーは簡単に人を殺せるなと思った。」と、言っていたことがあるが、最近のプロレス技には相当危険なモノが増えてきた。昔、藤波辰爾のドラゴン・スープレックスはあまりにも危険ということで禁じ手となっていたが、今ではもう当たり前のように多くの選手が使っている。小橋建太のバーニング・ハンマーを見た時は、相手の首の骨が折れるのでは?と思ってしまったほど。そんな危険きわまりない技の数々を、どうしてそこまでして受けねばならないのか!? これが最初からどちらが勝つか決まっているとして、果たしてここまで出来るだろうかと思うし、仮に決まっていたとしてもこのように演じられるとしたらそれはそれで素晴らしいと思える内容のモノをプロレスラー達は提供してくれる。観客を楽しませるために、驚異的な肉体を作り上げているのだ。

 ジャンボ鶴田は相手の実力によって、バック・ドロップの落とす角度を調節していたという。そう考えると敵とはいえ相手を信用することも要求されるハズ。どこかで信頼関係がないと名勝負も生まれにくいようだ。だから最近の小川直也と新日本プロレスの選手との試合はつまらないのである。試合として成立すらしていない。いっそのことガチンコで潰しあいでもしてくれれば、まだ客も納得するだろうと思う時もある。

 かつて、アントニオ猪木が『徹子の部屋』でうまいことを言っていた。「アメリカのプロレスは肉体のプロモーションで、日本のプロレスは精神のプロモーションだ」と。最近では「プロレスは興業だ」と言ったそうだが、この言葉からしてもプロレスが観客ありきのものであることがよくわかる。

 アメリカではプロレスはスペクテータースポーツ(観劇用スポーツといったところか)というジャンルにされているらしいが、現在のWWFの超人気ぶりはすごい。あのハルク・ホーガンがトップをはっていた頃の比ではないという。WCWやECWも買収により吸収してしまい、もはや独壇場。おそろしいまでのビッグ・ビジネスになっているようだが、そのプロレスの内容といえば本当に「ショー」であること極まりない。なんせレスラーでもないオーナーのビンス・マクマホンのファミリーが、レスラーと共にリング上で結婚だの不倫だの暴行だの事故だの裏切りだの様々なドラマを繰り広げるという徹底したエンターテインメントぶり。レスラー達もハッキリとしたキャラクター作りによって、その役を演じることになる。ここまで来るともう格闘技とは到底呼べない。往年の名レスラー達が現状を嘆くのも無理はない。本当にお芝居こいちゃってるわけだから。エンターテインメント・スポーツではなく、スポーツ・エンターテインメントである。それでもこれが非常に受けているのだから仕方ない。

 以上のように『プロレス』と一口に言っても、様々なスタイルがあるわけで、これを全て十把一からげにして語ろうとしてもムリなのだ。それをあまりよくも知らないくせに訳知り顔で「あんなもん八百長やんけ」という浅はかな奴を見ると、表現の違いはあれども一生懸命頑張っている選手達がかわいそうになってきて、非常に腹立たしい。せめてもっとちゃんと見てから言えよと思う。その上で『ショー』とか『八百長』だとか、逆に『格闘技』とか『スポーツ』だとか自分自身で判断すればとやかく言わない。もっとも、そう簡単に決めつけることができないから、こうやって私は長々と語っているわけだが。

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 とにかくこのように「プロレス」にも、多種多様あるわけで当然ファンのプロレス観というのも様々である。新日本プロレスしか見ないファン、全日系しか見ないファン、メジャーは見るけどインディーズは見ないファン、逆にインディーズしか見ないファン、U系しか見ないファン、ルチャ・リブレのファン、アメプロしか見ないファン、女子プロレスしか見ないファン、あるいは何でもかんでも受け入れるファン・・・。さらに格闘技として見ているか、ショーとして見ているか、八百長と思って見ているか、そうでないか等々、本当に様々である。

 しかし世間一般からすれば、とりあえずどれでも同じプロレスだったりするのだろうから、いつも説明するのに苦労してしまう。手っ取り早く、新日本・全日本をスタンダードとして説明するわけだが、その際やはり未だに馬場・猪木を基に話を展開するのがベストであるという現状がある。それだけ今プロレス界に時代を象徴するスターというのが存在していないということを表していることになるか。だから、なおさら「プロレス」の現在を一般の人達もイメージしにくくなっているのだろう。

 こうした流れにおいて、私のプロレス観というのも当然変わってきた。最初に述べたように、子供の頃はプロレスは純然たる格闘技だと思っていた。しかもフリーに近いルール上、最強の格闘技だろうとも思った。やがて、U.W.F.が台頭するプロセスにおいて、プロレスに対する多くの疑問が湧くようになる。それはまあ一連のプロレス八百長論者の言うようなことだったが、この辺りから従来のプロレスが格闘技であるのかということに非常に疑問を持つようになる。U.W.F.を見たら他のプロレスなんか見られなくなるというような風潮があった中、それでも私はどちらもプロレスとして認知していた。が、U.W.F.は格闘技だが、普通のプロレスに対しては?という見方をしていたように思う。

 やがて元初代タイガーマスクの佐山聡が創った『シューティング(修斗)』という格闘技の存在により、U.W.F.に対しても疑問を抱くようになる。シューティングを見てしまうと、U.W.F.もやっぱりプロレスではないかということに気づかされてしまうのだ。佐山の理論的なU.W.F.批判を聞かされたら、ごもっともと思わざるを得なかった。

 そうなるとプロレスラーって果たして本当に強いのか?という疑問が起こってくる。それがどうなのかという目安として『異種格闘技戦』があったわけだが、これにしてもどこまで信用していいのかという危惧はあった。それでもバーリトゥードの大会が出てくるまでは、プロレスラーの威信は保たれていたと思う。バーリトゥードはプロレス以上にルールもフリーなので、プロレスラーならけっこうイケるんじゃなかろうかと思っていたが、実際はそんなあまいものではなく、やはり別モノだった。

 観客のイメージに喚起されることによって、その面白さをより成立させている興業というのがプロレスである。したがって、「プロレスラーは強い」という幻想を打ち砕かれた日には、説得力が欠けすぎて何だかとても虚しいだけである。どんなに観客を意識した闘いが要求されるからといっても、やはりマジでやれば強いという裏打ちされたものがないと。

 まあ、あれやこれやと述べてきたけども、『プロレスはプロレスである』としか私には言えない。知れば知るほど奥の深さを思い知らされ、また何なのか簡単には断定しかねる不可思議で特異な世界である。他に比類なきジャンルなのだ。

 リングの上では様々な個性や生き様がぶつかりあい、そして新たな人間模様が繰り広げられる。そんなプロレスラー達にファンは各々の想いやイメージを投影し、その異世界へとのめりこんでゆくのだ。よく言われるように、そこには人生の縮図がある。プロレスにはありとあらゆる色々な要素を飲み込んでしまうとてつもない大きな力があるように思える。そんなところに私は魅力を感じずにはいられないのである。おそらく私は死ぬまでプロレス界の歴史を見守っていくことだろう。

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 なお、この文章を書いただいぶ後に、あのミスター高橋の衝撃の暴露本が発売される。そこで多少プロレスに対する見方にも変化が出てしまったので、それに関してはまた後ほどということで。

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