○○○のシンセ実験リーグ

 オレは、大学に入ったら音楽をやると決めていた。それもシンセサウンドがメインとなるオリジナルをやりたいと思っていた。

 そして、同志社大学の入学が決まり、入学祝いをシンセサイザー購入の一部として使い、アンプとハードケースと合わせてYAMAHAの『SY-77』を購入。当時ローン60回払いで約40万円(定価30万円)もした代物である(今なら中古で5万円もしないかも・・・悲しい)。

 買ったはいいが、ピアノやエレクトーンといった類も習っていたわけではなく、全く弾けなかった。最初こそキーボードの通信教育なんかしちゃったりしてたんやけど、続かんかったね。だいたい、キーボーディストになるつもりはなかったし、弾き語りがしたいわけでもなかってんから。

 そう、だから弾けなくても曲作りのできるオールインワン・シンセを買ったのである。

 ところが、いざ軽音楽サークルに入ってみると、オレがいかに特異な音楽性の持ち主であるかということに気づかされてしまう。やっぱりバンド=ROCKっていうのがあまりにもあたりまえで、オレみたいなテクノ指向の奴ってのは皆無だったのだ。しかも、オレはヴォーカリストとして専念したかったわけだから、そっちの機材方面に強い奴が必要だった。が、そんな奴は当然いなかった。

 もうひとつ大きな問題があった。機材の搬入である。『SY-77』は持ち歩くには重すぎた。かと言って、自動車免許を取って家から田辺まで毎日機材を持って往復するなんざあ、気が遠くなるほど面倒なことやった。一時、もう一台シンセを買うことも考えたが、「これ以上借金を背負ってまでして、このサークルでなあ・・・」という落胆の思いがオレにそこまでさせなかったね。

 そんなこんなで、バンドはバンド、個人は個人として考えるようになっていた。

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 AGNUS DEIを解散後、ようやく自分の音楽を充実させることができた。この時には機材も増えていたし、MTRを活用して、デモテープを作ったりしていたね。

 そんな流れを汲んで、アジャンタ結成によりLilac Rainbowsに復活する。その際に、学園祭でオレのソロ・プロジェクトも試しにやってみるかって思いたったのだ。何でそう思ったんやろうなあ? 今ふり返っても不思議と言えば不思議。ただそういうところがオレらしかったりする。ふと他人にまだ見せていない自分というものを見せて驚かしたくなるっていう。

 ハッキリ言ってそんなたいしたことはできない。弾けりゃ問題ないが、弾けないしね。それに機材も手探り状態で使ってるから、熟知してるわけでもない。だから気軽に「コレは実験や」ってことで、○○○のシンセ実験リーグって命名したのだった。コレはリングスの後楽園実験リーグから取ってきたんやけどね。格闘技マニアしかわからんやろうけど。

 こうしてオレの開き直ったステージが披露されることになるのだが・・・。当初、学園祭の動員数もかなり多い時間帯の午後4時ぐらいにプログラムされてしまって焦った。「おいおい、こんなん皆様にお見せするほどのもんやないんで・・・」って言うてムリヤリ朝一番の午前9時からに変更させた。(爆) 当然客はまだほとんど身内ばかり。

 いやはや、おそるおそる始めたね。使用機材はYAMAHA『SY-77』、KORG『01/W pro』、YAMAHA『RY-30』だけやった。全てインストやけど、ただ単に手弾きでオリジナルと既成の曲を混ぜつつメドレーをやった後、バックでシーケンサーを鳴らしつつシンセ・リードを弾くパターンに持っていった。・・・・・・・・・・・壮絶やったね。全然ちゃんと同期させてなかったから、もう音がズレまくってメチャクチャ!! それでも最後はあの長州力のテーマ曲『パワー・ホール』で、キース・エマーソンばりのパフォーマンス。何せこれがやってみたかったっちゅうのもあったし。(笑) シンセをワッサワッサと揺らしたり、上に乗ったりとムチャやらかした。みんな拍手喝采、メチャクチャ受けたね。後で司会の奴らに「汗水たらして買った機材をあんな風に使って大丈夫なんですかね」なんて言われたが。

 そして、これだけでは終わらない。唐突やけど締めはアカペラ・ソロと決めていた。それはオレが本来ヴォーカリストやというアピールと同時に、原点回帰するという意味を込めていた。曲は勿論TM NETWORK。この日は名曲中の名曲『ELECTRIC PROPHET (電気仕掛けの予言者)』を歌った。適当な長さでね。(笑) 後で聞いた話やが、オレのシンセ・プレイがある意味強烈やったからか知らんが、初め「ヴォーカリストなんで」って言うたら冗談やと思った奴が何人かおった。

 こうして25分程度やったが、ハチャメチャなオレのシンセ・ソロ・ステージは終わった。

 それでもギター・サウンドの溢れる中で、シンセだけのサウンドをブチかましてやったから新鮮味はあったようだ。シンセの音の良さを改めてわかったと言ってくれた奴もいたし、ああゆうこともやってみたいと言う奴もおったし、録画したビデオを金払ってもええから譲ってくれなんちゅうキトクな奴までおった。(笑) 何にしろとりあえずやってみて良かったわね。

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 これっきりの企画かと思われたオレのシンセ・ソロ・ステージやったが、実はもう一回、卒業コンサートの前座で披露することになった。思ったより出場するバンドが少なかったせいもあるが、やはり前回の同期の失敗というのがすごく悔やまれたというのがあった。

 だから、今度はかなりシーケンサーで作り込んでおいた。それでも、今思えばかなり恥ずかしいレベルのもんやったけどね。

 前回同様、手弾きによるメドレーでは、オリジナルから始まり、ストリングスによるゴジラメドレーをメインに据えた。けっこうブ厚く音を出したのでそれなりに迫力はあったと思う。

 後の打ち込みメドレーは『Get Wild』に始まり、オレのオリジナルを2曲ブチかまして、例の『パワー・ホール』につなげた。この時は爆発音をふんだんに使っていたから、鍵盤に乗っかる度にかなり豪快な音を出していたはずだ。ここまで引っ張ってきて一気に過激なパフォーマンスでボルテージを絶頂に導いて行く。拍手喝采である。技術はなくとも、こういうツボはけっこう心得ていたりする。

 そして最後はやっぱりアカペラ・ソロ。(笑) しかもやっぱりTM。この時はその時のオレの心境をよく表していたTMNのラスト・シングル『Nights of The Knife』を歌った。

 この後にAGNUS DEIでステージに立ち、大学における音楽生活の最後を飾ったのだった。

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