サクラはチルからこそ美しい!?

 3月になったが、受験の合否が決まる時期だったりする。

 もうオレにはかなり昔の話になってしまうわけやけど、この時期が来るといつもあの長く暗いトンネルから抜け出せた時のことを思い出す。

 大学に行きたいと思ったのはいつの頃からだろう? ハッキリと意識したのがいつのことなのかはわからない。ただ、小学生の頃から既に行くつもりにはなってたと思う。別に進学校やなかったけどね。ごく普通の市立小学校やった。

 中学生の時には将来マスコミ関係の仕事に携われたらなあなんてなんとなく思っていた。そうすると大学ぐらいは出とかないとってなってくる。それに大学生活というものに漠然とした憧れみたいなものも芽生えていた。マンガ『めぞん一刻』の影響で。(笑)

 高校は近所の府立高校に入学した。だから私立の進学校ほどピリピリしてなかった。ここで言っておかないといけないことは、京都の公立高校の学力レベルってのはどこへ行っても似たり寄ったりで、だいたい偏差値上下の私立高校にサンドイッチされるような状態にある。

大学への現役進学率もそんなに高くなく、全国的に見てもそれほど良くはなかったように思うのだが、なんせ地元にかなり多くの大学や短大が存在しているにもかかわらず、なかなか苦戦しているというけっこう情けない地域だったりする。今でもそうなんかな? 10年以上前の話やから。(笑)

 そんなこんなでまあみんなのん気なもんですわ。最初から現役でいい大学に入ってやろうなんちゅう気合いの入った奴等はもうほんまに高一の時から、いろんな塾なり予備校なり行ったりしとるからね。

でもほとんどの奴等はマイペース。テストもみんな一夜漬け。だから周りに流されまくるねんな。そうしてるうちにいつの間にか受験を目前に控えててんやわんやっていうパターン。

 オレ、最初大胆にも国公立を目指そうとしとってんけど、代数・幾何を選択して散々な目にあったから、オレには理数系の勉強はムリと思って、私立の大学に切り換えた。英・国・日本史の三教科ですむと思えば全然気分的には楽になったし。もし大学受験に数学がどの学部にも必須科目としてあったならば、人生完全に方向転換してたやろうな。それこそ即、音楽の道に突っ走ったかもしれない。

 高三にもなると頻繁に模擬テストを受けることになっていたが、いやはやもうひどかったわ。学校の成績はそんなに悪くはなかったんやけど、模擬テストとなると全国的にレベルがわかってまうからねえ。ほんで塾とかも一切行かんかったから、受験勉強のやり方がイマイチピンときてなかった。

第一志望は関西大学の社会学部・マスコミュニケーション学科に設定しとったんやけど、合格圏内には程遠い状況やった。

 もうこの時にはなんとしても大学生活というものを一度経験したいと思っていた。それはキャンパス・ライフっていうもんがよくわからなかったから、肌で感じてみたいというのがあった。音楽したいとも思ってたし。

それにやりたい勉強を専門的にやりたいと思った。特にマスコミ関係の勉強がしたかった。

そして何よりも学歴社会に対する反発ってのが大きかった。おや!?って矛盾を感じるかもしれない。受験戦争を避けて通ったら学歴社会をコキおろしたくても説得力ないなあって思ってたから。学歴社会を否定したいがために難関校を目指すことにしたんやね。

学歴社会は今でこそ崩れつつはあるけども、当時は声高に叫ばれてた時代やったし。実際、就職活動した時に感じたけど、けっこうその会社の社員の出身校を優遇するような風潮は感じたからね。まあ今は学歴よりも優秀な技能が求められてる時代やと思うんで、変わってきてるかもしれんけど。就職活動関係はまたいずれ。

ああ、それと難関校には全国からいろんな奴が集まってくるって聞いたからね。それは面白そうやなあって思ったっていうのもあったね。

 で結局、模擬テストで良い結果も見られないまま入試をむかえてしまう。当然現役合格ならず、すべり止めもすべってしもた。まあどちらにせよ浪人したと思うが。最初、宅浪しようかと思ったけど、担任がそれはやめとけってあまりにも言うもんやから推薦された某予備校に行くことにした。ここから長い間腰に刀を差して歩くことになる。(笑)

 一浪とはいえ、周りに同じ境遇の奴等がゴロゴロしていたもんやからそんなに危機感は無かったし、一年も勉強すれば当然合格できるだろうと思っていたが、現実は厳しかった! まさかの全滅。またもやすべり止めさえもすべってしまう。

このショックは大きかった。この一年かなり頑張って勉強していたし、模擬テストでも合格圏内の成績は連発していただけに、これ以上どないせいっちゅうねん!?って途方に暮れてもうた。ボー然としたな。

そして、もう一年だけ頑張らせてくれと親に頼んだ。内心穏やかではなかったやろうけど、オレのこの一年間の努力は伝わっとったと思うから承知してくれた。かくしてもう一年同じ予備校に通うことになる。

 もう後が無い!! メチャメチャ勉強した。それはもうすさまじく勉強したな。なんせ起きてたら、何やってても勉強してなかったら落ち着かへんかったし。その頃はもう勉強の仕方っていうのは完全にモノにしとったしね。それに勉強することの楽しさも知っていった。

確かに受験勉強って形式ばったくだらない面も多々ある。でも、その中に本当に大学側が求めてるものを見出したりできるようになると、英語も国語も日本史もその深さを知ることができた。それが、実生活で役に立つかどうかは別として。(苦笑) それを生かすも殺すもその人次第やけどね。

そんなことを知るにつけて、その問題の質の高さで、早稲田・同志社により興味を持てた。そう、この時の志望大学だ。特に、同志社大学は予備校の近くだったので、いつも自習室から目に入った。「オレはここに行ってやるぞ。」って意識は日増しに強くなっていったように思う。

 模擬テストではもうだいたい上位クラスだったので、大丈夫なハズとは思っていたけども、去年落ちまくったこともあり、どうしても合格のイメージが湧かず、不安感が消えることはなかった。成人式にも行かず、模擬テストを受けてたしなあ。テストの帰りの電車の中で着物姿の女の子達を見かけたりして虚しい気分になったのを覚えてるわ。

 受験当日ってどんな気持ちやったけな? やれるだけのことはやったっていう充実感? いやいや、必死こいて開き直ろうとしてたように思う。今さらジタバタしたってしゃーないってね。テストも確かな手ごたえってっていうほどのものを感じずに予定を終えた。

 結果、6つぐらい受けたと思うんやけど、合格したのは同志社大学の商学部一つだけ。ゾゾ〜〜〜〜ッ!! 崖っぷち人生やねえ。関大は1点足らずで落ちとったし。あの時、あの問題を書き直さなければ受かっとったのにっていう。これで同志社落ちとったら、果たしてあきらめついたんかなと思うわな。

 ハッキリ言って大学受験も多かれ少なかれ運っていうもんがあるよ。運も実力のうちとは言うけど。大学によって問題の傾向っていうのが明らかにあるから、当然向き不向きもでてきたりするし。模擬テストは所詮模擬。本番に弱いってことなんか、オレは。(笑) そんなことないんやけどなあ。

でも合格通知が届いた時は、ほんまタタミの上を転げ回って喜んだな。アレって落ちてたらペラペラの紙1枚だけやし、郵便配達の人が来た瞬間で受かったかどうかわかってまうねんな。思えばあのペラペラをどれだけ見たことか。

 商学部って全然興味なかったし、気がのらんかったけど、そこしか受からなかったからしゃーないわねえ。でも今はそれで良かったとは思ってる。まあ大学での勉強に関してもまたいづれということで。

 この浪人時代はオレの今までの人生の中で最も苦しかった。・・・って言うたらなんか全然たいした人生送ってへんみたいやな。そろそろ次の大きな試練が間近に迫ってるような兆しなんかあり〜の。(笑) 

でも、あの二年間があるおかげでオレ自身かなり精神的に強くなったと思う。少々のことでは屈しなくなった。努力することの楽しさとつらさもわかったし。人生もう一回やり直せるとしても、あの時のことを考えるともう戻りたくないって思うな。

 あの時があるから、やればなんとかなるやろうし、なんとかしてみせる!って強い気持ちを持つことができるようになったと思う。でないと今、こんな風な人生送ってられませんよ。(爆)

U2の『POP』を聴きながら・・・   

2002.03.02

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