某音楽専門学校時代

 現在では、端から見るとフラフラしているかのような生活をやっておるけども、一応大学4回生の時には就職活動というものをやった。

 当時のキーワードは『マルチメディア』だった。今では『IT』というのがキーワードに取って代わって、すっかり聞かなくなった言葉やけどね。

 それに関係して、音楽業界やマスコミ関係も大きく変わるであろうことは予想できたが、まだまだお互い様子を窺ってるような感じやった。実際そういった業界を直に見て歩けるチャンスだったわけで、就職するしないはともかくけっこう見てまわったもんやった。

 そんな中で自分が強く感じたことは、「やはりオレは創る側にまわる必要がある!」ってことだった。ハードじゃなくてソフトになりたかったってことね。

 だからとにかく自分の可能性を試してみないことには、前に進めへんなあって思ったんやね。それで結局就職はせず、音楽の専門学校に行って、歌の基礎というもんを一度学んでみたいと思った。

 みんなが内定をもらって落ち着き始めていたころ、「おまえ、一体どうすんねん?」って聞かれる中、実はこっそりいろんな音楽専門学校の情報を集めたりしつつ、某音楽専門学校を受験していた。

 受験と言っても、面接と歌と論文だけやけどね。だいたいオレが落とされるわけがないと思ってたんで、何も心配はしてへんかったし、余裕かまして和やかなもんやったわ。落ちる奴いるんかなあと思ってたら、後で聞くと何人かいたらしい。商売とはいえ、一応定員も決まってるし。

 ほんでまあ、合格したのはええんやが、困ったことがあった。実は、これらのことは他の誰にも話していなかった。それは親にもである。願書に保護者署名欄があったんやけど、今やから言うけどオレの字やったりする。(笑) バレないようにそれっぽく書いたのだ。しかし、学費をローン支払いするためにどうしても保証人が必要やった。親に言おうにもなかなか口に出せなくて随分胃が痛い思いをしたのだが、そのうちクレジット会社からの確認の電話が入る時間になり、そこで初めて親にバレてしまう。うちの親のエラいところは、あまり子供に干渉しないところである。普通なら二浪して大学行って、そして先がどうなるか見えてこない音楽の学校に行くなんちゅうたら、説教されまくること必至だろう。でも、そこをグッとこらえて、子供の意志を尊重してくれたところは本当にこの家に生まれてきて良かったなと思ったわ。

 そんなこんなで、大学卒業後、某音楽専門学校に通うことになる。

 しかしまあ正直言ってあんまりふり返りたくないねえ。別につらかったとか面白くなかったとかそんなんとちゃうんやけどね。

 確かに毎日色々な発見があって新鮮やったし、本当に歌の奥深さを知ることができたと思う。先生達もオレの反面教師として非常に役に立ったと思うし。(爆)

 ただ、教わるとやっぱりみんな同じような感じになってもうて、個性が欠如しかねない。だからオレの歌も技術的には良くなってたかもしれんけど、オレの持ち味が一部死んでしもたような気がして、つまらん歌になってたように思うねんなあ。

 それはねえ、それまで腹式呼吸やとかあんまり意識せずに、歌に想いさえ込めればええって感じで歌っとったから、ダイレクトに歌としてのパワーが出せてたんやけど、細かいことを気にするようになって、なんか小さくまとまってしまったって気がしてしゃーなかった。必要以上にうまく歌わないといけないような気にさせられた感じ。

 歌以外にも音楽理論やソルフェージュ、ピアノ、作詞、作曲などなどあったけど、大学まで出ておきながらてんで出来は悪かったな。創るのは良かったけど。音楽ってある意味数学やからなあ。譜面とか嫌やわあ。歌うときにはあった方がより解釈できて助かるけど。書くのはほんま勘弁してくれって感じですわ。

 こういう学校におるからには当然オーディションにも何度か出た。テープ審査が通っても、後の審査で落ちたりとかそんなんやったわ。

 ある日、某レコード会社のディレクターに歌を聴いてもらえる機会があったが、歌い終えてから言われたことがある。「今、何才?」「25才ですけど」「ああ〜。後5年若かったらねえ〜」・・・・・・・・・・・・・悔しかったね。そんなもんかと思ったよ。確かに若い方が吸収力はあるやろうし、将来性もあるやろう。そんなこたあ、わかっとる。現に今の音楽業界はどんどん低年齢化が進んでいる。じゃあ、もう遅すぎるのかってなってくるが・・・・。でも、実際この言葉はずっと引っ掛かっていたな。

 余談やけど、このディレクターとは2年後に某ライブハウスで偶然出くわした。こちらが何にも言わないのに覚えていてくれたということは、やはりインパクトだけは残せてたんやろうねえ。

 卒業ライブでは、オケから何もかも自分が作った曲をやることが義務づけられていた。まあヴォーカリストと言うてもオレは以前から打ち込みをやってたから、そんなに苦労はせえへんかったけどね。『あなたと二人でいたい』っていうラブソング・・・・・・・実は昔の曲を新たに作り直したもんやった。シンセ実験リーグでちょっとメドレーに入れたりもしてた曲やし。出来上がってから、「これ、なんかB'zの曲に似てしもたなあ。小室哲哉の影響もよう出とるし・・・」とは思ってんけど、でもいい曲やと思ったからそれにした。予想通り、受けはかなり良かったし。サビ、息継ぎの場所がほとんどなくてしんどいんやけど。(笑)

 とにかく、この学校では音楽ビジネスの中で、ある程度は要求に応えられるようにってことで、オールラウンドな感じに仕上げられてしまった。個性を伸ばすというよりはね。もう1年上のコースに通って極めるという手もあったがもうオレには必要ないと思ったのでそれはやめた。パーフェクトという意味じゃないよ。次に自分が必要なことは、自分らしさを存分に引き出した歌を歌えるようになることだったからだ。

 だいたいデビューして5年もつアーティストなんてほとんどいやしない。たいてい2年契約やろうから、それで芽が出なかったらほとんどはポシャッちゃうねんな。それにデビューするまでより、デビューしてからの方がはるかに難しいだろう。じゃあ、どうすれば良いかというと、他と圧倒的に差別化をはかりつつも、多くの人達から支持される武器を最低限持っていないとダメだろうってこと。それと協力してくれる周りの人達とのつながりが恵まれてるかどうかによってもかなり大きく左右されるやろうね。運を自分で呼び込めるかどうか。

 もうとにかくオレはデビューがどうとか以前に自分らしい音楽を作りたいって思った。年齢のこともあるが、音楽ビジネスもIT時代を迎えてこれから大きく変わっていくやろうし、今あるレコード会社だってそのうち無くなってるかもしれない。ブロードバンドの発達により音楽のノンパッケージ化が進み、市場に出回るメディアとしてはDVD(あるいはBD)がメインになる可能性が非常に高くなってると思う。そうなってくるとますますプロとアマの境界線って曖昧になってくるやろうし。2001年は楽曲主義の傾向がすごく見られた年だったが、その傾向にはますます拍車がかかりそうやな。

 自分が自分足りえる歌を歌うことを目標にした。そしてそのことによる苦悩は今も続いている・・・・。

 

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