VOCALIST誕生!!

 

 自分が音楽をやろうと思ったきっかけは、高校時代までさかのぼる。当時はバンドブーム全盛期やった。BOφWY、レベッカ、ザ・ブルーハーツ、アース・シェイカー、プリ・プリ、BON JOVIなどといったコピーバンドで楽しむ奴等を尻目に、正直自分の方が歌はうまいなあと思っていた。

 元々歌うことは好きやった。人前で歌うことはあんまりなかったが、少なくとも小さいころから歌では褒めてもらうことが多かった。歌手になりたいとは思わなかったな。ただ、小学生の頃初めて『ザ・ベストテン』を見てびっくりしたことがあった。それは田原俊彦の『哀愁でいと』だった。・・・衝撃やったね。だってそれまで歌手と言われている人達は歌がうまくて当然やと思ってたんやから。トシちゃんは小学生のオレに大きな自信を与えてくれた。小学生より歌が下手な人でも歌手としてやっていけるんだっていう (爆)。 そう思うと今の音楽シーンって歌のうまい人達が多くなって良かったなと思うわ。

 ではでは、オレが本格的にやりたいと思うようになったきっかけのエピソードを語ろう。高校三年の文化祭やった。うちの高校の名物行事として『のど自慢大会』というのがあった。だが当時はまだ今みたいにカラオケボックスが普及していなくて(ああ・・・歳が・・・)、人前で歌うという行為はけっこう恥ずかしいことであるという風潮があったのだ。そのために、「今年は出場者が少なくて困ってるから、出てくれへん?」と、生徒会長直々に電話で頼まれたんや。

 正直困ったね。全校生徒の8割以上は見てるし、父兄もいっぱい来るからねえ。そんな大それたことができるかなあと思いつつも、ちょっと自分を試してみたくもあったんで引き受けたのだった。

 こののど自慢大会はだいたい吹奏楽部のバック演奏か、音楽の先生のピアノによるバック演奏か、市販のカラオケを使用というパターンだった。だが当時カラオケも今のようにカップリングで付いているなんてこともほとんど無かったし、そもそもCDシングルが初めて世に出たのがこの年だったのである(・・・歳が・・・)。

 そんな状況下、オレの選曲はTM NETWORKの『SEVEN DAYS WAR』。しかも1人っきりでアカペラに挑戦だ。何でそんなことを? 歌うならTMと決めていた。詞が共感できたというのが大きい。だがサウンドがオリジナルでもない、コーラスもないと思ったら自分1人で歌った方がインパクトがあると思ったのだ。それが曲のイメージを崩さず、ストレートに伝えられる最良の手段だと信じた。第一、そんな大胆なことをする奴は他にはいない。オレらしいなと思ったわ。そう、当時から他の奴がやってることと同じことをやるなんて許せない性分やったんやね。

 当日、体育館は満員だった。だから1000人以上はいたんとちゃうかな。オレは自分の出番まで外で発声練習をしていた。いよいよだ。不思議とこの緊張感を楽しんでいる自分がいた。いざ、ステージに出てしまえば腹は据わっていた。司会の奴が友達やったんで、その点でもやりやすかったしな。「あの〜、アカペラなんで手拍子はいりませんから。」なんて前置きしつつ、一呼吸おく。ここに今まで誰にも見せたことのないオレが立っていた。一瞬にして静まり返る体育館。

 ♪Revolution ノートに 書きとめた 言葉  ・・・・体育館にはオレの声だけが響いている。目の前にこんなにいっぱい人がいるのにだ。ほんま渾身の想いを込めて歌ったよ。だってオレの声しかないんやから! 気持ち良かったあ!!

 途中までは万全やった。2コーラス目のことである。・・・歌詞を間違えた。オレは思わず「あっ、間違えた。」と言ってしまった。誰もが予期せぬ事態に一瞬みんなあっけにとられたようだが、その真剣さとおちゃめさ(自分で言うな!)具合のギャップで場内大爆笑。それでもすぐさまオレは気にせずに歌った。これはさほどのことではない。

 問題はその後だ。小室さんの曲って、サビがかなりしつこい。これでもかというぐらいに繰り返す。バックに演奏がありゃ問題は無かったろう。でもオレはアカペラである。しかもソロで。それなのにオレはオリジナルのサイズそのままにサビをひたすら繰り返し歌った。それでさすがに観ている人達も「おいおい、いつまで繰り返すんや?」みたいな感じでザワついてきた。ああ、今思いだすだけでも恥ずかしい。でも、最後はちゃんと締めたよ。♪ただ素直に 生きる た め に〜〜〜 ・・・余韻を持たせるようにね。場内大歓声やった。嬉しかった。

 歌い終えて舞台袖でマイクを返す時、係の女の子が言ってくれた。「良かったです〜。みんな聞き惚れてましたよお〜。」その一言で報われた気がした。あんなに笑われちゃあなあっていうのがあったから。こっちは笑われるなんて全く思いもせんとステージに上がったわけやし。

 一応のど自慢ってことで審査もあったんやが、オレはもうどうでもよくなっていた。一つのことをやり遂げたっていう充実感でいっぱいだった。なんだかすごく清々しかった。

 もしグランプリならもう一度同じ曲を歌わないといけない。でもオレはもう全力を出し切っていたので、もう一回は歌えないと思っていた。だいたいあんな間違いをした上に、同じようにサビを繰り返し歌うなんてことができるハズもなかった。結果、最優秀歌唱賞やったっけな、もらったのは。グランプリではなかったんやけど、実はグランプリもらった奴が「何で○○君(オレ)じゃないんですか!?」って審査員の先生らに詰め寄ったっていう裏話がある。何や「あの歌はもっと語りかけるように歌わないかん。」とかなんとか言っとったらしい。要するに叫びじゃなくて、もっとソフトにってことやったんやろうなあ。なるほどなと思ったけど、そんなん面白くないやんとも思ったね。(笑) あの時のオレはああじゃなきゃダメやったんよ。可哀相に、そいつの歌の時みんな席立って帰っとったもんなあ。自分で言うのは何やけど、たぶんもう1度オレの歌を聞きたいと思ってくれてた人達がいっぱいいたと思うんやね(ほんまかいな?)。

 この時があって、しばらく会う奴会う奴がみんな「良かった」「感動した」「鳥肌立った」って言うてくれた。その時に思ったわけだ。オレにもこんな力があったんやなあって。それからかな、大学に入ったら音楽をやりたいと思ったのは。さすがに即プロになりたいなんて思わへんかったし。でも、いつかこんな多くの人達の心を揺さぶるようなことをやりたいって思うようになった。その気持ちだけでそれ以来前向きに生きれるようになったと思う。勿論、その夢を成しえていない今でも。

 これが、オレがやる側に立つようになったきっかけってわけ。でも、ハッキリ言ってこの時ほど気持ち良く歌えたっていうのは無かったと思うなあ。それ以降のステージっていうのはいつもどこかシビアなものを背負ってたからねえ。純粋に楽しむことは出来てなかったと思う。

 勘違いでも何でもいいから、護るものが無いうちは己を信じて突っ走るべきだ。時間は待ってくれないからね。

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