アジャンタ

 『AGNUS DEI』から解放されたオレは、しばらくは一人で自分の音楽を模索していた。この頃はYAMAHA『SY-77』、KORG『01/W Pro』、E-mu『VINTAGE KEYS』、YAMAHA『RY-30』を使って、4トラックのMTRに自宅録音でちょっとしたデモテープを作ったりしていたのだが、そのうちステージへの渇望感が出てきた。

 ライラックの事を聞くとAGNUS DEI解散後、ギターのオバチャンやドラムのかっぺがあまり活動が出来ない状態に陥っていたようで、こりゃなんとかしてやりたいなあという気持ちにもなっていた。かつてYESのセッションやDEEP PURPLEのコピーバンドだった『ELEGY』をヘルプした時に、一緒にやったベースのもんちゃんを誘い、新たなバンドを結成し、ライラックにも復帰したのだった。

 この4人のメンバーならテクニック的にも心配ないし、間違いなく面白いものができると確信していた。先ず、オリジナルで日本語詞を前提。そして、プログレッシヴ・ロックのインプロヴィゼーション民族音楽の要素を取り入れつつ、キャッチートリップ感覚を味わえるような音楽というのを目指すことにした。

 一度、かっぺの家でメンバー全員泊り込みのミーティングが行われた。しかし、みんなちんたらちんたらファミコンやったりして全然遊びモード。それでも帰る間際にちょっとだけバンド用の曲の原案を発表したりしつつ、とりあえずバンド名だけは『アジャンタ』とすることに決まったのだった。

 しかしまあ最初からこんなお気楽ムードだったので、曲の方はなかなか出来上がらなかった。十分バンドというものを楽しみながらやっていたとは思うが、外のライブハウスでの活動という目的からは程遠いペースだった。目前に迫っていた学園祭をどうするかで手いっぱいになり、それでもなんとか4曲を仕上げることが出来た。どこかAGNUSの香りがプンプンとしていたが・・・。

 

 最初に出来たのがオバチャン作曲の『優曇華(うどんげ)』。ほとんど1コードでガムラン音楽っぽい曲だったが、流れ的にはAGNUSの『SHAMAN』かなといった感じで、比較的仕上げやすかった。オレ自身ヴォーカルのメロディーラインのイメージもすぐ浮かび、詞に関しても苦労はしなかった。ただ、なんかTHE BOOMの『島唄』っぽくなったきらいがあるが。

 1コードとあって、ヴォーカルとしては相当ラインを上下に動かさないと、歌として物足りなくなる。だから、ただでさえ高低の激しいフレーズをさらに1コーラス目から2コーラス目で1オクターヴ上げて歌うという荒技に出た。今からするともっとちゃんと発声ができていればと後悔したりもするが、当時はとにかく力技で乗り切っていた。それに、アジャンタにおいてまともな歌曲構成で歌っていたのはこの曲のみである(どんなバンドやねん!)。これ以外は尋常でない曲ばかりだった。

 

 オレが作った曲『BAVEL』は変拍子から始まる中近東っぽいスケールを意識したDarkな、そして良く言えばプログレがかった曲だった。しかし、悪く言えばかなりいい加減だったとも言える。イントロとAメロ、そしてラスト以外のBメロの部分というのが完全にインプロヴィゼーションという構成になっているのだが、ここのインプロ部分でも一応歌わなくてはならなかった。そこで歌も楽器の一部のような存在にするためには、詞をキッチリハメるという形で作ってしまうと具合が悪かった。そこで、イメージとして神主の祝詞のような感じで短詞をその時の気分に任せて節を回してのっけることにした。歌もインプロヴィゼーションだったわけである。

 結果から言うと面白い試みだったが、ヴォーカリストとしてはつらかった。毎回安定しているわけではなかったし、ともすればダレてしまう。しかし、独特の異様な空間を作り上げることはできたのではないだろうか。

 

 そして4曲中、もっとも適当で長い曲『Near Death (臨死)』。メンバーがドイツのプログレバンド『Can』の曲にインスパイアされてセッションしもった中、生まれた曲である。これこそインプロヴィゼーション満開だった。ただ歌に関してはキッチリハマる詞に落ち着かせたので『BAVEL』ほど苦ではなかった。

 が、ここに落ち着くまでが大変だった。なぜなら最初はラップというか語りというか、歌ではなく言葉を意識してのっけるような話になっていた。それで最初に苦労して持ってきたオレの『EGOISM』というResistanceな詞というか、散文を一度披露してみたところかなりコキおろされてしまったので少し途方に暮れかけていた(この時の内容はオレ個人の音楽人生の中でもっとも寒かった)。

 それでまあ、何度もやっているうちに演奏もある程度固定化されてきて、なんとか自分のイメージも固まり、最終的にしっくりきたかなという。それでも自分の作った詞の中でもっとも異常なものであることは確かだ(ひらきなおらないと人前でやるのはけっこう恥ずかしい)。

 

 最後はアフリカのポリリズムを意識してオバチャンが作ってきた曲『モケーレ・ムベンベ』だが、個人的には一番モノにできてなくて悔しい思いが残っている曲だ。それはもうオレが満足いくように詞がハメられなかったというのが大きい。かなり強引なハメ方をしていたように思う。もったいない。当時はまだリズムに対する意識が低かったので、今となってはいたしかたないが。

 この曲は学園祭のライブで、一度途中でギターの弦が切れてしまい、演奏を中断してしまったことがある。オレともんちゃんはオバチャンが弦を張り替え終わるまでひっぱるつもりでいたのだが、かっぺがドラムを途中でやめてしまったのだ。後でもんちゃんが「かっぺはミュージシャンとして一番恥ずかしいことをしよった」と言って怒っていたな。それよりもオレは急遽M.C.で場をつなげねばならなかった。その時に「このバンドの名前は『アジャンタ』と言うんですけど、よく『アジャ・コング』と間違えられたりするんですけどね・・・。」なんて超寒〜〜いことを言ってたのを思いだす(実際にそんな風に間違える奴なんぞただの1人もいない)。

 

 以上の4曲の他に、「もっと歌としてまともに歌えるものを」ということで、オレが1曲提示していた『砂漠から』という曲もあったのだが、あまりにも普通ではないかということで、手付かずになってしまったものもある。これはオレが休部中に自分用の曲としてデモを作っていたものでもあったが、いかんせんアジャンタでやるにはあまりにも普通すぎたな。

 

 そんなこんなで三回生でサークルの方は一応みんな引退することになっていたので、アジャンタのメンバーもそれぞれ就職活動や資格試験などを控え、そのままフェイドアウトしてしまった。まあ個人的にはバンド人間でも無かったので、楽しむという意味では十分楽しめたバンドだった。

 ただ曲に関してはもっとちゃんとまとめ上げるべきだったと思うし、もっと曲を作りたかったという思いが残った。

 『AGNUS DEI』にしろ『アジャンタ』にしろ、とりあえずスタジオ・レコーディングしてデモテープとして残しておけば良かったと今さらながら思う。

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